PARTYさんでの企画展、無事会期終了となりました。
ギャラリーにお越しくださった方、手に取ってくださった方、
また、オンライン展でもご覧いただき、ありがとうございました。

今回「お浸しの鉢、煮物の鉢展」ということで
お浸し、煮物はもちろん、鍋の取り鉢やサラダ、常備菜など、様々に使える
4寸から6寸の鉢を作ってみてください、とご依頼いただきました。
鉢は過去に作ってきたものはほとんどなく、
まずは様々なスケッチなどから考えました。
家にある鉢を眺めたり、あるいは古い本などを眺めたり。
考えていくうちに、鉢と碗の違いとは何だろうかと、疑問に思いました。
自分自身の認識では、鉢は深い?碗は浅い?鉢は大きい?碗は小さい?
しかし、浅鉢というものもありますし、ラーメン鉢と呼ぶような深い丼状のものも、鉢のひとつ。
鉢は自分自身が思っている以上に奥深かったのです。

また、鉢は金へん、碗(椀)は石へん、もしくは木へん。
鉢は金属製の器にルーツがあるのかしらと、歴史にも思いを馳せながら。

そんな器の名前の不思議だったり、器の形の境界線なんかをぼんやり考えているときに、
作業中に好きで聴いている コテンラジオ や ゆる言語学ラジオ で
ものの名前はどうやって決まっていったのか、みたいな話をタイミングよく聴きました。
◎コテンラジオ
#02 構造主義への目覚め 〜チョキをチョキと認識する為に知らなきゃならない言語の本質〜
【COTEN RADIO ジンブンガク 】
→YouTube →Spotify
ものの名前をどう認識しているのか、というような話。言語学者のソシュールという人の唱えた考え方。
犬というものは、犬ではないもの以外のものを犬という、のだ。という。
“ものとものを何らかの方法で分けている。分けているものに従って、言葉というものをくっつけているのだ”
実体が先にあって「ものの名前」をつけて区別している・・・。
言われてみれば、言葉が先にあって、ものの名前を後から付けたと思い込んでいたことに気がつかされました。
そんな風に考えもしなかったなあ。
今回私が考えていた「鉢」と「碗」について考えてみると
解釈はちょっと間違っているかと思いますが、もしかしたら、
碗でないものが「鉢」であり、鉢でないものが「碗」、なのかもしれません。
コテンラジオは、自分がいつも持っている考え方を外し、新しい考え方や見え方を教えてくれて
その度にワクワクわくわくしています。
(ゆる言語学ラジオの放送については、どの回だったか探せたらリンク貼りたいと思います。)
時代や使い方によっても変わってゆくのだろうな、と思うと
名前は名前として、あまり引っ張られずに、手を動かしていくことにしたのでした。
出来上がったものはInstagramにもアップしています。
ご覧いただければ嬉しいです。
